かくとは日記

毎日の日常をきりとってかいたもの

1137 (負けるが勝ち)


私は昔から負けず嫌いな性格で、
周りの友達に劣らないよう勉強や
スポーツで努力をすることが好きだった。

より良い結果がほしい・選ばれたい・
褒められたい・できるようになりたい
そんな思いとともに育った子供だった。

それは、大人になってもまだ続くことが
あって、人のことを気にする、意識すること
が身に付いてしまったために、たまに
情けないほど親の目や周りの目を
気にしすぎる、自分の性格の中で大きな
マイナスな部分を作ってしまった
かもしれない、と思うことがある。

最近、そんなふうに周りの目を気にして
悩んだときにふと目に止まるのは、
「自信がないのは周りのことを気にしすぎ
だから」とか、「自由=他人に嫌われる」とか
自分らしく生きればいいんだよ、
という自分を認めることの大切さを説いた
メッセージが多い気がする。
確かにそれはそうかもしれない。


でも、適度に周りを意識して刺激を受けたり
それによって自身を向上するために
努力したりするのは悪いことでは
ないのではないかな。



それとは話が少し違うかもしれないけど、
私は松浦弥太郎さんの著書の中に、
特に好きな言葉がある。
それは、「1137のセオリー」だ。
これは、簡単に言うと博打に勝つためには
「1.1.3.7」というバランスで勝ち負けを
コントロールすることが重要である
ということらしい。

要は、負けばかりでも勝ちばかりでも
最終的な勝ちはないということ(?)
1.1.3.7の勝敗のバランスを取ること。
つまり、勝つためには負ける必要が
あるということ。自分の思う通りに何かを
進めたければ、あえて負けることも
大切だということ。

この話を聞いて、いいなと思ってはいたが
ずっと負けるのが嫌な性格だったから
実際にはピントはきていなかった。
けど、今日はこの言葉が実感できた。


それは、会社の会議室の予約の重複が当日
見つかり、さあどちらが譲る?
というものだった。
私は、このとき業務の量も多く少し気持ちも
あまり良くないタイミングだったので
争う気もなく、すんなりと
「気づかずすみません」、と
先に譲る姿勢を取ることができた。


結果として先方との打ち合わせがあるとの
ことで私の予約を優先してくれて
予定通りミーティングができた。

これだ、と体感した。
自分の思う通りにしたければ
あえて負けの選択を取ること。
負けるのが嫌いな自分だったけど
その瞬間、負けるのもいいな、と感じる
ほどすんなりと事が進んだ。
(別に勝負に負けようと
思って譲ろうとしたわけではないけど)


この平和で調和が取れた感じ、
すごく心地よかった。好きだった。


自分の気分や周りとの雰囲気が
良くなくなるなら、
私はあえて負けることや
譲ること、認めることを大事にして
生きていきたい。